極彩色


【2】 ひとりじゃない 

 年末が近づいて、優(ユウ)もわたしも授業のレポートや発表の準備で忙しくなってきていた。よく、大学生は自由だとか、時間があって気ままだとか言われるけれど、一応学業だってやっている。大量に出る課題をいちいち真面目にこなそうとしたら、たとえサークルやバイトをしていなくっても、普通に忙しくなるはず。ラクをしようと思えばもちろんできる、先輩に過去問をもらうとか、レポートはどこかの本からそのまま文章を引っ張ってくるとか。だけど優もわたしも、残念ながらうまい具合に手を抜けないタチだった。やるかやらないか、オール・オア・ナッシング。
 学年末のレポートや発表はそのまま単位に直結するものだから、もちろんやらないわけにはいかない。今週は特に締切が集中していて、忙しさがピークに来ていた。わたし達はもう何日も前からゆっくり会って話す機会がないままだった。会うことがまったくないわけじゃないけど、それはキャンパス内で偶然はちあわせて一言二言、という程度のものだった。
 徹夜が2日続き、同じ学科の友達に「もう死ぬ」とこぼしながら、金曜日の最後の授業に出た後。教室を出たら、なんとそこに優が立っていた。「ただ通りすがっただけ」という感じではなく、そこに立って、明らかに何かを待っていた。
 びっくりして彼の前で立ち止まる。でも突然すぎて……しかも意外で、なんだか言葉が出てこない。そしてその間にわたしと一緒にいた友人は「あら、ごゆっくり」と笑ってそそくさと去っていった。
「誰か待ってるの」
 半分答えを知っているはずなのに、尋ねずにはいられなかった。
 彼は左右の眉を2ミリずつだけ、間に寄せた。彼の困った時の表情だ。
「君を待ってたんだけど」
 やはり意外で。すぐにはとても信じられない。だって彼からわたしにアプローチしてくることなんてこれまでほとんどなかったことだから。わたしが目を丸くしてたせいだろうか、彼はなんとなくばつが悪そうにつけたした。
「次の授業、休講になったから。途中まで一緒に帰ろうよ」
 ふたりで駅まで一緒に歩いた。同じ電車に乗って、彼は乗り換えのため途中下車していった。今日で一段落ついたわたしと違って、優はまだレポートの締切が来週までのが残ってて、大変らしい。終わったら部屋に遊びに行くよ、と約束して今日は別れた。笑顔で手を振って、彼の後姿が見えなくなった時、なぜか急に、なんだか焦りに似た感情が込み上げてきた。何か足りない、どこかに忘れ物をしてきたような、そういう不安な感覚。こんなの初めてだった。
 地下鉄にひとり乗って、窓際に立ったまま、ずっと胸がざわついていた。思わず胸元に手をやると、いつもより鼓動が速いのが服越しに伝わってきた。
 たった今別れたばかりの彼に、優に、会いたくてたまらなかった。
 ずっとお互い忙しくて会えなかった一週間、一度もこんな気持ちにはならなかったのに。やっと会えた途端、今までどんなに自分が満たされないでいたのかに気付いてしまった。会えない間、わたしは彼の不在という心のすきまを見てみぬふりをしてただけだったんだ。だって、気付いてたらつらすぎるもの。ずっとこんな気持ちを抱えて生活するなんてできないもの。
 窓ガラスに映るわたしは今にも泣きそうなひどい顔をしていた。だけどどうにか最後まで涙をこらえて、わたしは地下鉄を降りた。
 駅から出ると、駅前の商店街で薬局に新しく貼られたポスターが目に飛び込んできた。最近人気が出てきたグラビアアイドルだ。そういえば、むかし彼が言っていた。「彼女はスタイルはいいけど、笑うと口が曲がるんだよ」なんて。目の前のポスターを見ると、大口あけて笑っている彼女の口は、確かに左右非対称だった。さっきまで自分が半泣きだったことも忘れて、思わず笑いそうになる。 だめだ、もう今度から彼女を雑誌やテレビで見かけるたびに、最初に口元に目が行ってしまいそう。
 少し歩くと今度はレンタルビデオ店の前で新作ビデオの宣伝が目に留まった。あ、あの映画は確か彼の好きなミュージシャンが特別出演してるんだったっけ。それで主演女優と一時期ウワサになったとかならなかったとか……。彼はその主演女優を毛嫌いしてたな。わたしはキレイなひとだと思うんだけど。彼とはいつも女性の好みがまったく合わない。
 こうして街を歩いていたら、いろいろな風景が彼の記憶へとつながっていくことにふと気付く。たとえ離れていても、ひとりだとしても。いつでも彼の視点が、彼の想いが、わたしと共にある。
 あたたかい感情が胸にじわりと広がった。もう一度、彼に逢いたいな、と思った。だけど地下鉄の中でとは違い、今度は焦りはなかった。


最終更新日:2003.10.15

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